今回はスーパーなどの小売店のレジの風景から見えてくるいろいろについて、時代と地域を変えながら、お話したいと思います。
昭和のレジ風景
まずは子供の頃からのレジでの思い出からひとつ。
いまでもたまに思い出すのですが、私が小学生の低学年だった頃のお話しです。今でこそスーパーというと郊外では広大な駐車場と広々とした店舗というのが普通ですが、当時は自動車に載っての買い物は普通ではなく、だいたいの人が徒歩か自転車を使っていました。
当然、ネット通販もありませんので、近所には小規模のスーパーがいくつもあって、さらに小規模の八百屋さんや魚屋さんなどの店舗もそこら中にあった時代です。遠くまで買い物に行く必要もなく、あれはあれで便利な世界だった思います。
さて、そんなころ近所のスーパーにお菓子か何か買いに行くと、当時の子供はお店で「これください」みたいなことを言っていたんですね。今でもそういう挨拶のようなことをいう子供がいるのか分かりませんが、そういうのはわりと普通だったと思います。
その日もいつもの調子でレジで「これください」というと、なんとレジのお姉さんが「イヤだ」と返すじゃないですか!素直な子どもだった私はいたく驚いて、今でも覚えているわけです。お姉さんにしてみれば、普通に「ありがとうございます」では子どもを相手に格好がつかないし、つまらないし、あるいはちょっとからかってみたかったのかも知れません。
それにしても、唐突に「イヤだ」と返されては、子どもでもあまりいい気分にはなりませんから、なにかもう少し柔らかい調子でひねってくれたら、面白い思い出になったのかも知れません。ただ、少なくとも当時のレジの店員さんはマニュアルではなく、自分なりの考えで接客する裁量があったという意味では、古き良き時代だったのかも知れません。
アメリカのレジ風景
次は、アメリカでの経験です。
私は、2000年の初頭、米国ボストンに1年余り住んでいたことがあります。ボストンはコンパクトな街で、路面電車やバスが街の主要なところを走っているので、自動車がなくても生活に困ることはありません。自転車や徒歩でも買い物にはあまり困りませんでした。
近所にはそれほどメジャーではない地場のスーパーがあり、そこをよく使っていましたが、使いはじめた頃はレジの店員の「ぞんざい」な感じに少々面食らいました。当時は日本ではすでに「ファミコン言葉」といわれるような、マニュアルチックなトーンでの接客がだいぶ浸透していたと思います。
表面上はとにかく「お客様」として丁寧に、ときには過剰なくらい丁寧に、扱われるのに慣れていましたので、アメリカのスーパーのレジの店員がレジを通した商品を「放り投げる」ように会計済みのカゴに入れるのを見たときは「けんかを売ってるのか!?」と思いました。
ひょっとしたら人種差別的なニュアンスがあったのかも知れませんが、誰に対しても頭を下げるような接客はしてませんでしたから、日本のレジ対応とはまったく異なるものだったことは確かです。「マックジョブ」という位置づけでアメリカの経営者はレジの店員の教育に価値を見出していなかったのかも知れません。
令和のレジ風景
そして場面は再び近所のスーパーのレジに戻ります。
令和の時代となったいまでは近所のスーパーも淘汰が進み、全県チェーンの一強状態となりました。売り場面積も増え、品揃えも増えましたので、大歓迎なのですが、ひとつだけちょっと苦手なことがあります。それはレジ店員の対応です。
じっと見つめて...
「ファミコン言葉」を使っているわけではなく、まぁ普通の対応なのですが、店員さんがお客の方を「じっと見つめて」ありがとうございました...、と必ず口上を述べるのです。インド系とおぼしき店員さんもいますが、やはり「じっと見つめて」くるわけです。「あなただけ見つめてる」(作詞・作曲:大黒摩季)は平成初期の名曲ですね😁
お礼をいう以上は相手の目をみて話すのは正しい接客でしょうが、「じっと見つめる」時間がひと呼吸長いせいで、その間のこちらの目のやり場や態度をどうして良いのか、気まずい思いを毎度しています。かといって「いえいえ、どういたしまして。こちらこそいつも有難うございます」と返すのも変な感じです。
スーパーの狙いは?
その接客方法はどの店員さんも同じですので、きっとマニュアルで決められているのでしょう。他の小売店のレジで「じっと見つめられる」ことはありませんので、そのスーパーにはなにか狙いがあるのだと思っています。
ひとつの推理は、お客への牽制ではなかろうかと。つまり、万引きの抑止策ではないかと。
そのスーパーでは、コロナ禍がはじまる前後から、レジ周りの流れが少し変わりました。以前はお客ごとにPOSのスキャンと会計を済ませていましたが、いまは店員はスキャンに徹し、会計はレジ横の精算機でお客が自分で済ませる流れです。
しかも精算機は1つのレジにつき2台ありますので、レジの流れはだいぶスムーズになりました。そして「見つめられる」のはスキャンが終わり、お客が 精算機に向かうまでの間の時間です。会計をお客に任せるので、その分の時間を「見つめる」ことに使えます。
レジ周りでは昨年2020年7月からレジ袋が有料化されるという大事件があり、大多数のお客は「マイバッグ」に誘導されました。その結果、小売店では万引の被害が多発しているようです。素人感覚でも、買い物袋をお客が持ち込めば、それを使った万引が増加するのは容易に想像がつきますよね。
そこで、スーパーではそのような事態を見越し、万引きするお客にクギを差すため、かつ、一般のお客には不快な思いをさせないような対策として、以前よりちょっと長めに「見つめる」ことにしたのではないか、というのが私の推理です。
「万引き被害に関する調査研究報告書」(令和元年警視庁)
令和元年10月の警視庁がまとめた「万引き被害に関する調査研究報告書」というものがあり、この中で万引きの「誘引となる要因」と「抑制する要因」についての調査があります。被疑者の年齢や店舗の業態に分けてさらに細かく調査をしており、なかなか興味深い資料です。
全体的には以下の図のような結果です。
店員や警備員の少なさが犯行の誘引になっていて、「店員のあいさつ」や「警備員等の巡回」が主な抑止要因となっています。「見つめる」というお客との接触時間を長くすることで、多少なりとも犯行の抑止に効果があると判断したのではないでしょうか。真相は訊いてみないと分かりませんが。
なお、3位に「あきらめない」というのが入っていて、これはもはや抑止要因じゃないだろ、と思いますが、お店側の「執念」を感じさせるもので、同時に事態の深刻さもにじみます。
一般にスーパーは薄利多売の事業ですから、万引き被害は経営上の一大事です。最近ではAIと監視カメラを使って万引を検知すると行った動きもあるくらいで、費用対効果の限界はあっても、経営者としてはどうにかして万引被害を少なくしたい、という思いに変わりはないでしょう。
レジの風景をひとつ取ってみても、時代と地域によってだいぶ様相が異なっていて、社会の一端が見えてくるようですね。