昨日ブログに書いたテレビゲーム総選挙では私がプレーしたゲームはほとんどランクインしていませんでした。といいますか私がプレーしたゲームの数が全部あわせてもせいぜい20タイトルくらいしか無く、ドラクエ、ファイナルファンタジーとポケモンという超メジャータイトルをプレーしていないので当然といえば当然な結果でした。
そんな中でランキングの観点では地味でしたが、少し嬉しかったのは桃太郎電鉄の最新版(昭和 平成 令和も定番!)が42位にランクインしたことです。この冬休みは桃鉄にチャレンしようと思っており、数日前にニンテンドースイッチとともに桃鉄も購入したタイミングでしたので、我が意を得たり、と感じたわけです。
購入動機
私の守備領域は基本的にシミュレーションゲーム(それもコーエーの)ですので、他のシリーズを買うことはあまりありませんでした。桃鉄に関しては超有名ゲームということもあり、長い年月の間に意図せず基本的な情報は得ていました。陣内智則さんが桃鉄のファンだというのも有名な話しで、You Tubeの動画でプレーを見たこともありました。
イメージとしては電車に乗って日本全国をまわり各地の物件を買いあさって資産を増やしたひとの勝ちというもので、不動産業界に縁のある人間としては「物件を買う」というところにピンときて、いつかはやってみようと思ったわけです。また、以前紹介したカルドセプトというゲームも状況設定はだいぶ異なりますが、すごろく的にマップ上をまわり自分の領地(物件)を増やしていくというプロセスはよく似ていますので、何となくゲームの進め方なども似ていて、同じように楽しめるかも、という期待もありました。
今回は信長の野望・創造もあわせて購入したのですが、取り敢えずは桃鉄の方をプレーすることにしました。今まさにテレビCMが頻繁に流れるくらいプレー人口としては桃鉄の方が圧倒的に多いでしょうから、旬のゲーム方を優先したわけです。
感想
今回はじめて触るゲームなので、具体的なルールや操作は本当に基本的なところからわかっていません。そのためガイドブックも迷わず購入して、それとにらめっこしながら、3年~10年の期間で何回かプレーしてみました。
楽しさ
何だか気楽にできるというのがほんのりと心地よいです。どんなにゲームの世界に入り込めようが結局はゲームなので、そんなに力を入れなくても、シリアスにしなくてもいいわけです。そういう前提から作られているのでしょうね。ゲームの中ではバカバカしいイベントが頻繁に起こりますので、そういうことを通じて「あぁこれはゲームをやっているんだ」と認識させてくれます。
信長の野望をはじめとするコーエーの正統的なシミュレーションゲームはそういうバカバカしいイベントは起こりませんし、むしろリアリティーを追求しています。そのような世界観と比べると、本当に娯楽的な気楽さを感じます。「まぁゲームなんですから、そう真面目にやらなくても良いじゃないですか、楽しくやりましょうよ!」といわれているような気すらします。ゲームのパッケージからして雰囲気がまったく違いますよね。
一方で、そのバカバカしさが強くなりすぎると、プレーもいい加減にやってしまい、ゲームの楽しさを損ないますので、そうならないような加減や工夫がしっかりとされているあたりが、このゲームが支持される要因なのかなと思いました。
かなり「運」に左右されるゲームですので、序盤でつまずいてしまうと挽回するのに苦労します。そこでリセットボタンを押させてしまうとゲーム開発者側の負けなのだと思いますが、このゲームの場合、少々の我慢とその後に起こるかもしれない逆転のイベントにより劣勢を挽回できることもあるという仕掛けも組み込まれています。さすがロングセラーのゲームです。
手軽さ
ゲーム内でのプレー期間は3年~100年までの間で選択可能になっています。年数によってゲーム内のルールが多少異なってきますが、短い年数でも十分楽しめます。10年の期間で目安のプレー時間が3時間と表示され、初心者の私が実際にプレーしてみてもだいたいそれくらいの時間で終わります。
信長の野望にもショートタームのシナリオも用意されていて短い時間でプレーすることも出来るのですが、プレーする国や設定がだいぶ限定されてしまうので、本来のシナリオと同じように楽しめるかは人それぞれかも知れません。本来のシナリオでプレーすると1ゲーム終わらせるのに平気でまる2~3日はかかってしまいます。
桃鉄はゲームの設定がすごろくというシンプルなものなので、ゲームの区切りがつけやすいのでしょう。こういう手軽さがあるとちょっとしたすきま時間や移動時間などに楽しめて、いろいろなユーザーを取り込めるという利点もあるかも知れません。ニンテンドースイッチはポータブルのゲームですので、そういうところの相性良さそうです。
一日一楽
今夜は親類一家と年末恒例の食事会でした。恒例行事にはなにかと都合が悪いご時世だけに集まって食事ができることに有り難みを感じます。