プロ野球日本ハムファイターズの新監督に新庄剛志氏が就任することになりました。記者会見ではさっそく「新庄節」がさく裂していましたね、「暴れまっせ~!」、「優勝なんか一切目指しません!」。今から来季が楽しみですね。
さて新庄監督は1972年1月28日生まれ、私と同学年です。私たちは「団塊ジュニア世代」と言われることがあります。今回は新庄監督へのエールという意味も込めて団塊ジュニア世代について触れてみたいと思います。
書き進めるうちに分量が多くなってしまったので、2回に分けてお届けします。ブログ初心者なので記事の分量の目安がつかめていません💦
団塊ジュニア世代とは 1971年~1974年生まれ
まず団塊ジュニア世代とはどのような世代でしょうか?生年でいうと1971年から1974年の間に生まれた世代を指すようです。団塊の世代が1947年から1949年の間ですから、ちょうど彼らの子供の世代にあたるということで団塊ジュニア世代という命名になったのでしょう。もっとも私の両親は1930年代後半の生まれでしたから、団塊ジュニア世代が団塊の世代を必ず親に持っていると単純には言えませんが。
団塊ジュニア世代の特徴としては世代の人口が多い、ということが挙げられます。私が成人するまでの期間にはあまり感じていませんでしたが、少子化が社会問題となっている現在の景色と比べると団塊ジュニア世代が育ってきた景色はだいぶ違っているのかも知れません。
5歳刻みで人工の分布を示した以下の人口ピラミッドを見れば団塊ジュニア世代(45~49歳のレンジです)の人口の多さは突出していますね。10歳以下の子供の世代の倍程度の人口規模を有していることがわかります。
団塊ジュニア世代の原風景 駄菓子屋、ファミコン、アイドル
人口が多いということについては私自身の経験からもそのように感じます。私の通った小学校は市内でも大きい方の小学校で1クラス40人くらい、1学年6クラスでした。毎朝の登校の際には近所の子供達と班を作って登校しましたが私の登校班は最大17人の大所帯でした。長期休暇前には一斉下校というイベントがあり、全生徒が登校班ごとに校庭に集合してから下校するのですが、私達の班は他の班からも「多いなぁ」と注目を集めていました。ちなみに今は近所で登校班を作って登校しているような気配すら感じません。
子供の頃の遊びといえば、近所の神社の境内で缶蹴りや水玉風船での戦争ごっこなどでした。駄菓子屋というと今では昭和レトロの代名詞として「昭和村」みたいな場所でしかお目にかかれないのかも知れません。神社の隣には駄菓子屋があり、ミリンダやスプライトといったジュース類やパンチのきいたソース味が人気のうまい棒を片手に日が暮れるまで遊んでいました。
インベーダーゲームは小学校1年生のときに流行りましたが、ゲームの都度お金を入れる必要があるので普段は遊びたい欲求を抑えていました。やがてゲームウォッチが発売されますが、外でも遊べるというのが画期的で、友人とゲームを交換するなどして遊びました。小学校高学年の頃にはファミコンが発売されて友人の家でファミコンで遊ぶというスタイルに変化していきました。
中学生になると部活に入るのが当たり前でしたので私も放課後はほとんど部活動に費やしました。小学生の頃は松田聖子、中森明菜、たのきんトリオといったアイドルが人気でしたが、中学生の頃には「夕やけニャンニャン」が始まりました。マイケル・ジャクソンのムーンウォークやブレイクダンスを廊下で披露する者が続出したのもこの頃です。
高校のときは私の学年が9クラス、総勢490人くらいだったかと記憶しています。現在は一学年320人程度のようですのでずいぶん減ったなぁという印象です。私の学年は以前の大学入試センター試験の実施初回の学年です。当時は「共通一次試験」に代わる「新テスト」と呼ばれていました。共通一次試験のときもそうでしたが、毎年のように国立大学の入試の仕組みが変わっていたことを記憶しています。それでも試験を受ける立場としては「ゲームのルールに合わせる」しかありませんから、新しい制度の情報にアンテナを立てて受験対策をしました。
大学生になってからは親元を離れ東京で暮らし始めました。1年時は府中市に住みましたが、周囲には銀行の社宅があり週末になると隣接するオシャレなテニスコートで楽しげに遊ぶ人々を見て東京の郊外の優雅な雰囲気を感じました。
大学ではサークル活動にいそしみのん気に過ごしていました。アルバイトは引く手あまたで「フロムエー」や「an」といった分厚い求人誌が毎日のように発売され、よりどりみどりといった感じでした。ポケベルが流行ったのもこの頃です。当時、20歳以上の学生にも国民年金の加入義務が課されることがちょっとした話題となりましたが、先輩の中には「将来年金がもらえるかどうかわからない」と支払をしていない、という人も既にいました。
私は順当に行けば1994年に大学卒業なのですが、大学を1年留年していますので1995年の卒業です。そして「就職氷河期」という言葉は1994年の新語・流行語大賞の一つに選ばれていますので、まさに就職氷河期元年の世代とも言えます。加えて1995年には阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が起き、一気に殺伐とした世相となりました。
今回の記事の前半はここまでです。後半は2000年代以降について書き進めていきます。
一日一楽
次回の記事で少し触れる埼玉武蔵ヒートベアーズというBCリーグの地元球団は2021年のシーズンは東地区で初優勝を飾っていたんですね!
おめでとうございます!!
ブログを書くことで初めて知りました!!!